自宅に籠もりながら制作した2021年春夏コレクションの起点は、最後の旅の終わりに読んでいた堀江敏幸さんの「戸惑う窓」にあった。家にいながらにして、窓の向こうの人を想像しながら服をデザインするーーそうしてコレクションが完成したとき、堀江さんと黒河内真衣子の対談が実現した。
<戸惑う窓>
黒河内真衣子:あるとき、自分が移動の最中にたくさんの窓の写真を撮っていることに気がついて、それを朝吹真理子さんに話したら、誕生日に堀江さんの本「戸惑う窓」をくれたんです。コロナウィルスの感染がひどくなる直前、1ヶ月ほどヨーロッパに行き、旅の最後、ポルトからポルトガルに入って、堀江さんの本を読みながら、スペイン沿いのタビラ町まで下って行ったんです。この絵はどういう絵なんだろう、この写真はどういう写真なんだろうか、と想像しながら読み進める行為が、自分が窓を見ながら、あの人はどういう生活をしているのかな、この空き家には誰が住んでいたのか、と妄想を掻き立てられる感覚に似ていたんですね。日本では、外から自分の姿を隠すためにカーテンやブラインドを引くことで、生活と外の世界の境目を作りますが、人が家に引っ越したときに、1番最初に決めるのがカーテンなのに、引っ越した後に忘れられていくのもカーテンで。工場をまわっている時に地方で出くわすもの悲しげな窓や、そこに染み付いている記憶の色は織りや染めでは出せない独特の色をしていて。それに魅了されてコレクションを作りました。この本のおかげで、コロナ下で帰国して在宅の生活に入って過ごした時間がネガティブなものではなく、豊かな、ふくよかな想像をできる時間だったのですが、どういうきっかけで窓について書くことになったのか、あらためてお伺いしてもいいでしょうか?
堀江:時計の雑誌から「何か連載を」、と依頼されたんです。主題はなんでもいいと言われたんですけど、高級腕時計の専門知識もないし、文学寄りの本の話を書いても雑誌の枠から外れてしまう。どうしようかと色々考えているうちに、ふと、腕時計のカレンダー窓が目に入って、これを窓に見立てれば何か言えるんじゃないかな、と思ったんです。時計の文字盤はガラスで覆われていますし、一種の窓でもある。窓のなかのデイト表示は、もうひとつの窓になる。時間と窓にはずいぶん深い関係があるわけです。超精密な機構を組み入れた職人技の高級時計には、裏面がスケルトンになっているものもあります。時間の流れを可視化する部分と隠す部分が両方あって、はじめて時計になる。けれど、日付は時針とも分針とも秒針とも関係のない、表と裏のあいだにある時間の窓みたいなものなんですね。それが、過ぎて行く時間を前にしたのときの、不安というか、戸惑いというか、摑みにくい感情と合致した。それで、言葉遊びも入れて、タイトルにしたことを覚えています。
黒河内:なるほど。私は、幼少期、山がたくさんあって自然が豊かな長野で育ったので、四角く、規則正しい枠の窓に出会ったのは東京に来てからなんですね。田舎の一軒家にはすりガラスが多いんですが、星なのか、何かわからないような柄が入っていて、例えば子供の頃、昼寝から目を覚ました時に目の前のすりガラスの色やテクスチャーが薄暗く夜を知らせる様子とか、あやふやな、おぼろげな記憶が残っています。「戸惑う窓」という題名に、フワッとした独特な時間軸みたいなものを思い出したんですが、堀江さんは、どういう窓を見て育ったんですか?
堀江:昭和の時代に戻ってしまうんですが、岐阜県の小さな市の生まれで、コンクリートのビルは駅前にあるくらいの田舎町ですから、四角い画一的な窓もなかった。個々の家にあわせた窓枠を、大工さんや建具屋さんに頼んでいたんでしょう。実家の窓も、昔は真鍮の鍵をクリクリっと捻って締める木枠のものでしたし、灯り採りの窓は大きさも中途半端でした。近隣の家々も、窓の大きさにはけっこうばらつきがあった気がします。だから、サッシの窓が出てきてしばらくは、うまくなじめなかったですね。規格品をうまく使う建築家もいらっしゃるでしょうけれど、一般的な家にはそういう美しさもない。子どもの頃になじんでいた窓はすりガラスで、指を濡らすと文字が書けました。それがスーッと乾いていくのも楽しかった。ふつうのガラスでも、古くからあるものが好きでした。表面が歪んでいるんですよね。
黒河内:揺れてますよね。
堀江:少し厚めで、波打っていた。ひびが入ったり割れたりしても、すぐ取り替えずに、テープで補修してある窓がかなりあったんです。防犯上は好ましくないと思いますが、修復した窓ガラスも景色の一つになっていました。台風の前にやったのか、何重にもテープが貼られているガラス窓があった。そこに記憶が、時間が詰まっている。東京に出てきて高層ビルを見あげたとき、壁一面がガラスになっているのに驚きました。窓なのか壁なのかがわからない。自分にとって窓というのは、やっぱり壁をくり抜いたもの。真っ暗なところから、眠りの中から光が差してくるように開かれる、昔のカメラみたいなイメージです。
黒河内:この本の中にも、夏の日にうたたねをして起きたら、部屋の中にピンホールカメラのような像が浮かび上がったというお話がありましたが、四角いものから見る景色ではなく、隙間から入ってくる、暗闇から向こう側を覗く、邂逅具としての景色の描写でした。
堀江:古い家には、縁側の内側か外側かに雨戸を入れられる空間がありました。夜はカーテンを閉めるのではなくて、雨戸を閉めるんです。朝、目を覚ましたとき、雨戸の隙間から入る光が最初の光になる。部屋全体ではなく、その1点だけが明るい。雨戸は羽目板みたいになっていて、節穴があるんです。板の隙間や穴から、光が入ってくる。そうすると、埃で光の線が見えるんですね。
黒河内:はい!見えます。
堀江:綺麗な埃の筋ができていて、それが窓と結びついている。外を見るのではなくて、見ないために閉じる雨戸が、逆に外のことを想像させる。同じ世代で田舎育ちだと、どなたもそういう体験があるんじゃないかな。
黒河内:都市生活では「暗い」の概念を感じることがなかなかないんですけど、埃の塵が雪のように舞う様子は、暗い中でしか見えない光景で。もしかしたら昔の人の方が暗い時間と、窓を開けて明るい時のコントラストを感じていたのかな、と思いました。
堀江:そうかもしれませんね。
黒河内:昔の窓には、光を通すところがあって、またいろんなものから守ってくれる雨戸としての機能があったから、カーテンという概念がなかったと思うんですね。雨戸がなくなって、窓が1枚のガラスになったことで、カーテンが生まれたわけですが、人の家の窓を見ていると、不思議なものを感じるんです。たとえばレースのカーテンや遮光を引いているのに、ぬいぐるみがたくさん窓際に並べられていたり、お花が内側じゃなくて外側に向けて生けられていたり、窓の演出がされている。そこに、洋服を彷彿とさせるものを感じたんですね。思い起こしてみると、たくさんの時間を過ごした祖母の家からは、窓の向こうの盆地をぐるりと囲んだ山々に、霧やもやが漂う景色が見えるんです。そんな家にもレースのカーテンは付いていました。今回コレクションを作る時、在宅生活の最中、家で生けていた花とかをスケッチして、工場にレースのカーテンと同じ技法で作るようにお願いしてドレスを作ったんですけど、それを祖母と母に見せたら驚くほど盛り上がっていて。誰もが毎日見るもので、世代を超えてみんなが可愛いと思うカーテンという存在に嫉妬するくらい。これはどういうことなんだろう?と考えると、いろんなレイヤーの戸だけで暮らしてきた人が1枚のガラスに乗り換えて、選択肢が増えた時に、洋服を決めるように窓を装飾する考え方が登場したのかな、と。
堀江:ある時期から、レースが急に増えた印象がありますね。製造技術が上がって、大量生産で安くなったんでしょうか。子供の頃、友達の家に遊びに行くと、窓だけではなくて、小さなレースの敷物がいっぱいあった。
黒河内:ありました。
堀江:一箇所だけ使うということはないんです。かならず複数の場所にある。電話台に敷かれていたし、玄関の靴箱の上にも、家具調のテレビの上にもレースの敷物が載っていた。敷物とカーテンの趣味は、だいたい似ていましたね。つまり、レースのカーテンにもしっかり模様が入っていた。1980年代の終わりから90年代の頭にフランスに留学して、パリにいたんですが、レースのカーテンに模様がないことにびっくりしました。薄くて真っ白な、無地の蚊帳のようなレースで、全体に均一に光が灯るというか、光を均一に吸って散らす障子のような感じがする。レースをあちこちで見かけた時期、カーテンも二重が流行って、外側の遮光カーテンと内側のレースの組み合わせが多かった。そして、レースにはたいてい柄が、模様が入っていた。まっさらなモノはほとんどなかったんですよ。どういう経緯でカーテンにレース模様が入るようになったのか、そこが不思議で。
黒河内:海外を歩いていると、窓にカーテンを吊っていなくて、家の中が全部見えて、自分自身がちょっと寂しいなと思う気持ちの向こう側に火が灯り、人が食卓を囲んでいるのがオープンに見える光景が印象的ですよね。確かにカーテンは、日本が障子とか日常にあったものから離れる中で、西洋への憧れが過剰に表現されたものの一つだったのかもしれません。
堀江:黒河内さんがカーテンをモチーフに制作されたレース模様からは、全体に風を孕んだ感じ、細身の体に空気が入る感じが伝わってきます。よく見ると素敵な模様が浮かび上がるんですが、パッと外から見たときの印象は無地で、そこに記憶の日焼けみたいなものがブレンドされている。
黒河内:私自身も幼少期の思い出で蚊帳の中で寝た夏の日とか、障子の向こうから光が差す感じとか、その時何をしていたかは思い出せなくても、光景は自分の中に蘇ってくる感覚があって。自分自身もコレクションを10年作ってきて「つつまれる」ことを考えたから、その後、新しい扉を開けたい、窓を開けたい気持ちが生まれたと思うんですよ。でも、いざそこを自分なりに模索していくと、窓を開けるのではなくて、自分の内側にある中身の窓を開けていく感覚があったんです。新しいことを探すよりも、いろんな景色を思い出すとか、そういう感覚が強かったですね。
堀江:内側にあるものは記憶なのか、思い出と言っていいのか分からないですけど、今回の春夏のコレクションを見せていただくと、まだ包まれているような感じを受けるんですよ。完全解放ではなくて、「包まれている状態」が守られたまま、何か違うところを開けようとしている。包まれていても、これまでの何かを守るという保守的なことでもなくて、内と外を強くするために崩したくない、そういう意味での「包む」というか。まだ見えていないかもしれませんけど、ひと繋がりのテーマだな、と。包まれることから、包むことに移らなければ、窓というテーマに向かわれなかったのではないか、と思ったんです。